人口増加を目的とする地域活性化は、本当に正しいのか
目次
- 1 人口減少社会における「勝ち組・負け組」構造への違和感
- 2 日本の人口が減り続ける中で「人口増加」を目指すということ
- 3 国はすでに「勝ち組・負け組」を作っている
- 4 「住み良い地域を作った結果としての活性化」と「人口増加を目的にする活性化」は違う
- 5 地域はすでに「病んでいる」
- 6 地域活性化の主役は「今、そこに住んでいる人」以外にあり得ない
- 7 住民を置き去りにした施策は、活性化ではなく「外向け演出」
- 8 まず守るべきは「安心・安全」と「住み続けられる条件」
- 9 「住み続けたい」と思える地域でなければ、人は増えない
- 10 住民を主役にしないものは「地域活性化」と呼ぶべきではない
- 11 本来の地域活性化とは何か
- 12 おわりに
人口減少社会における「勝ち組・負け組」構造への違和感
「地域活性化が必要な理由」として、しばしば人口減少の抑制、若年層の流出防止、移住促進による人口維持・増加が挙げられる。
一見すると、誰も反対できない正論に見える。
しかし、日本全体の人口が減少し続けている現実を前提に考えると、この説明には重大な矛盾が含まれている。
日本の人口が減り続ける中で「人口増加」を目指すということ
日本はすでに人口減少社会に突入しており、今後これが反転する見込みはない。
つまり、ある地域の人口が増えるということは、別の地域の人口が減ることを意味する。
この構造を無視したまま、
- 自分の地域は人口を増やす
- 自分の地域は活力を取り戻す
- 自分の地域は豊かになる
と語るのは、極めて自己中心的で、無責任な発想ではないだろうか。
人口を奪われた地域はどうなるのか。
医療、交通、商店、学校、行政サービスは維持できるのか。
そこに住み続ける人々の生活は、誰が引き受けるのか。
この問いは、地域活性化の議論の中で、ほとんど語られてこなかった。
国はすでに「勝ち組・負け組」を作っている
現実には、国の政策はすでに、
- 拠点都市
- 中核市
- コンパクトシティ
- 選択と集中
といった言葉を使いながら、人を集める地域と、縮小を前提にされる地域を選別している。
しかし国は決して、
- 見捨てる地域
- 持続不可能になる地域
- 撤退を前提とした地域
とは言わない。
「効率化」「現実的対応」という言葉で覆い隠し、その結果生じる地域間格差や生活破綻の責任を、誰も明確に引き受けていない。
「住み良い地域を作った結果としての活性化」と「人口増加を目的にする活性化」は違う
ここを混同してはいけない。
地域が住みやすくなり、結果として人が集まることはあり得る。
それ自体を否定する必要はない。
しかし、
人口増加を目標に掲げ、それをKPIとして地域活性化を進める
ことは全く別の話である。
人口増加を目的にすると、施策は必ず歪む。
- 若者・子育て世代・移住者が優先される
- 高齢者や既存住民の生活は後回しになる
- 「数字に貢献しない人」が軽視される
その結果、地域は「活性化」しているように見えても、住民の分断や不信、孤立が深まっていく。
地域はすでに「病んでいる」
多くの地域は、もはや成長を夢見る段階にはない。
- 高齢化
- 空き家の増加
- 相続問題
- 買い物難民
- 医療・交通の不安
- コミュニティの希薄化
これは「将来の課題」ではなく、すでに進行している現実だ。
病んでいる人に「将来の夢を語れ」と言うのが酷であるように、
病んでいる地域に「人口を増やそう」「成長しよう」と訴えるのは、現実認識を欠いている。
まず必要なのは、健康体に戻すこと。
そして、人口が減っても耐えられる体質に変えていくことだ。
地域活性化の主役は「今、そこに住んでいる人」以外にあり得ない
地域活性化の議論で、しばしば見失われがちな視点がある。
それは、地域活性化の主役は、現在その地域に住んでいる人たちであるという、極めて当たり前の事実だ。
にもかかわらず、多くの地域活性化施策は、
- 移住者向け支援
- 関係人口の創出
- 外部人材の呼び込み
- 観光客誘致
といった、「今そこに住んでいない人」を主な対象に設計されている。
これは順序が完全に逆である。
住民を置き去りにした施策は、活性化ではなく「外向け演出」
地域に住む人たちが、
- 医療や買い物に不安を抱え
- 空き家や相続問題を一人で抱え
- 交通や見守りが不足し
- 将来に希望を持てない
こうした状態に置かれたまま、外部向けに「魅力ある地域」「活力ある地域」を演出することは、活性化ではない。
それは単なる広報戦略であり、場合によっては、現実から目を逸らすための自己満足的なイベントに過ぎない。
地域に住む人たちが「自分たちは置き去りにされている」と感じた瞬間、その地域活性化は、すでに失敗している。
まず守るべきは「安心・安全」と「住み続けられる条件」
地域活性化の第一歩は、決して華やかな施策ではない。
- 高齢になっても暮らし続けられるか
- 買い物や通院が成り立つか
- 困ったときに頼れる人や仕組みがあるか
- 空き家や相続で人生を壊さずに済むか
こうした生活の基盤こそが、最優先で整えられるべきである。
地域住民の安心・安全が確保されていない状態で、移住者や観光客を呼び込もうとするのは、
土台の崩れた家に、装飾だけを施す行為に等しい。
「住み続けたい」と思える地域でなければ、人は増えない
人口増加を目的にしてはいけない、という議論と同様に、「住み続けたい」と思えるかどうかは、結果であって目標ではない。
しかし逆に言えば、
- 今住んでいる人が「ここで暮らし続けたい」と思えない地域に
- 外から人を呼び込んでも
- 定着せず、いずれ去っていく
という現実もまた、数多く見てきた。
地域住民を主役に据え、「残る人の生活を守る」ことに本気で取り組んだ結果として、外から人が関心を持つのであれば、それは自然な流れである。
住民を主役にしないものは「地域活性化」と呼ぶべきではない
地域活性化とは、
- 数字を良く見せることでも
- 成功事例を作ることでも
- 外部から評価されることでもない
今、そこに生きている人の生活と尊厳を守ることである。
地域住民を置き去りにし、他地域の人を対象にした施策を「活性化」と呼ぶのであれば、それは言葉の誤用であり、概念の破綻だ。
地域活性化の主役は、常に地域住民でなければならない。それ以外の活性化は、地域活性化ではない。
本来の地域活性化とは何か
人口減少社会における地域活性化の目的は、こう再定義されるべきである。
- 人口が減っても、尊厳ある生活を維持できること
- 撤退や縮小を含めて、壊れ方をコントロールすること
- 残る人が「見捨てられた」と感じない地域をつくること
それは「負けを認めること」ではない。
責任ある選択をすることである。
おわりに
人口増加を目指す地域活性化は、一部の地域を「勝ち組」に見せるかもしれない。
しかしその裏側で、別の地域が静かに持続不可能になっていく。
本当に問われるべきなのは、
どの地域が勝つか
ではなく
誰を切り捨てない社会をつくれるか
ではないだろうか。
地域活性化とは、夢を語ることではない。
現実を直視し、その中で人が人として生き続けられる地域を守る営みである。

過去にインターネット受注で100%稼動する縫製工場を経営しており、平成17年度に経済産業省「IT経営百選」で優秀賞を受賞、翌18年には、最優秀賞を受賞するまでになりましたが、その後、縫製工場の経営を止め、飲食店のインターネット担当として勤務いたしました。平成28年11月より独立してSEO対策とWEBコンサルタントとして多くの相続サイトの検索流入やコンバージョンの改善実績があります








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