人口増加を目的とする地域活性化は、本当に正しいのか

人口減少社会における「勝ち組・負け組」構造への違和感

「地域活性化が必要な理由」として、しばしば人口減少の抑制、若年層の流出防止、移住促進による人口維持・増加が挙げられる。

一見すると、誰も反対できない正論に見える。
しかし、日本全体の人口が減少し続けている現実を前提に考えると、この説明には重大な矛盾が含まれている。

日本の人口が減り続ける中で「人口増加」を目指すということ

日本はすでに人口減少社会に突入しており、今後これが反転する見込みはない。
つまり、ある地域の人口が増えるということは、別の地域の人口が減ることを意味する

この構造を無視したまま、

  • 自分の地域は人口を増やす
  • 自分の地域は活力を取り戻す
  • 自分の地域は豊かになる

と語るのは、極めて自己中心的で、無責任な発想ではないだろうか。

人口を奪われた地域はどうなるのか。
医療、交通、商店、学校、行政サービスは維持できるのか。
そこに住み続ける人々の生活は、誰が引き受けるのか。

この問いは、地域活性化の議論の中で、ほとんど語られてこなかった。

国はすでに「勝ち組・負け組」を作っている

現実には、国の政策はすでに、

  • 拠点都市
  • 中核市
  • コンパクトシティ
  • 選択と集中

といった言葉を使いながら、人を集める地域と、縮小を前提にされる地域を選別している。

しかし国は決して、

  • 見捨てる地域
  • 持続不可能になる地域
  • 撤退を前提とした地域

とは言わない。
「効率化」「現実的対応」という言葉で覆い隠し、その結果生じる地域間格差や生活破綻の責任を、誰も明確に引き受けていない。

「住み良い地域を作った結果としての活性化」と「人口増加を目的にする活性化」は違う

ここを混同してはいけない。

地域が住みやすくなり、結果として人が集まることはあり得る。
それ自体を否定する必要はない。

しかし、

人口増加を目標に掲げ、それをKPIとして地域活性化を進める

ことは全く別の話である。

人口増加を目的にすると、施策は必ず歪む。

  • 若者・子育て世代・移住者が優先される
  • 高齢者や既存住民の生活は後回しになる
  • 「数字に貢献しない人」が軽視される

その結果、地域は「活性化」しているように見えても、住民の分断や不信、孤立が深まっていく。

地域はすでに「病んでいる」

多くの地域は、もはや成長を夢見る段階にはない。

  • 高齢化
  • 空き家の増加
  • 相続問題
  • 買い物難民
  • 医療・交通の不安
  • コミュニティの希薄化

これは「将来の課題」ではなく、すでに進行している現実だ。

病んでいる人に「将来の夢を語れ」と言うのが酷であるように、
病んでいる地域に「人口を増やそう」「成長しよう」と訴えるのは、現実認識を欠いている。

まず必要なのは、健康体に戻すこと
そして、人口が減っても耐えられる体質に変えていくことだ。

地域活性化の主役は「今、そこに住んでいる人」以外にあり得ない

地域活性化の議論で、しばしば見失われがちな視点がある。
それは、地域活性化の主役は、現在その地域に住んでいる人たちであるという、極めて当たり前の事実だ。

にもかかわらず、多くの地域活性化施策は、

  • 移住者向け支援
  • 関係人口の創出
  • 外部人材の呼び込み
  • 観光客誘致

といった、「今そこに住んでいない人」を主な対象に設計されている。

これは順序が完全に逆である。

住民を置き去りにした施策は、活性化ではなく「外向け演出」

地域に住む人たちが、

  • 医療や買い物に不安を抱え
  • 空き家や相続問題を一人で抱え
  • 交通や見守りが不足し
  • 将来に希望を持てない

こうした状態に置かれたまま、外部向けに「魅力ある地域」「活力ある地域」を演出することは、活性化ではない。

それは単なる広報戦略であり、場合によっては、現実から目を逸らすための自己満足的なイベントに過ぎない。

地域に住む人たちが「自分たちは置き去りにされている」と感じた瞬間、その地域活性化は、すでに失敗している。

まず守るべきは「安心・安全」と「住み続けられる条件」

地域活性化の第一歩は、決して華やかな施策ではない。

  • 高齢になっても暮らし続けられるか
  • 買い物や通院が成り立つか
  • 困ったときに頼れる人や仕組みがあるか
  • 空き家や相続で人生を壊さずに済むか

こうした生活の基盤こそが、最優先で整えられるべきである。

地域住民の安心・安全が確保されていない状態で、移住者や観光客を呼び込もうとするのは、
土台の崩れた家に、装飾だけを施す行為に等しい。

「住み続けたい」と思える地域でなければ、人は増えない

人口増加を目的にしてはいけない、という議論と同様に、「住み続けたい」と思えるかどうかは、結果であって目標ではない。

しかし逆に言えば、

  • 今住んでいる人が「ここで暮らし続けたい」と思えない地域に
  • 外から人を呼び込んでも
  • 定着せず、いずれ去っていく

という現実もまた、数多く見てきた。

地域住民を主役に据え、「残る人の生活を守る」ことに本気で取り組んだ結果として、外から人が関心を持つのであれば、それは自然な流れである。

住民を主役にしないものは「地域活性化」と呼ぶべきではない

地域活性化とは、

  • 数字を良く見せることでも
  • 成功事例を作ることでも
  • 外部から評価されることでもない

今、そこに生きている人の生活と尊厳を守ることである。

地域住民を置き去りにし、他地域の人を対象にした施策を「活性化」と呼ぶのであれば、それは言葉の誤用であり、概念の破綻だ。

地域活性化の主役は、常に地域住民でなければならない。それ以外の活性化は、地域活性化ではない。

本来の地域活性化とは何か

人口減少社会における地域活性化の目的は、こう再定義されるべきである。

  • 人口が減っても、尊厳ある生活を維持できること
  • 撤退や縮小を含めて、壊れ方をコントロールすること
  • 残る人が「見捨てられた」と感じない地域をつくること

それは「負けを認めること」ではない。
責任ある選択をすることである。

おわりに

人口増加を目指す地域活性化は、一部の地域を「勝ち組」に見せるかもしれない。
しかしその裏側で、別の地域が静かに持続不可能になっていく。

本当に問われるべきなのは、

どの地域が勝つか
ではなく
誰を切り捨てない社会をつくれるか

ではないだろうか。

地域活性化とは、夢を語ることではない。
現実を直視し、その中で人が人として生き続けられる地域を守る営みである。