地域活性化は「当たり前が機能していない現実」から始めなければならない
「地域活性化」という言葉は、イベントやブランド化、観光振興、移住促進といった華やかな施策と結びつけられることが多い。しかし、本当にそれが地域のスタート地点として正しいのか、立ち止まって考える必要がある。
本来、地域活性化とは「普通の人口規模がある地域で、当たり前に成立していることが、その地域では成立していない理由は何か」という視点から始めなければならない。
この視点を欠いたまま進められる地域活性化は、往々にして地域住民の現実から乖離し、結果として誰も幸せにしない。

目次
地域住民が困っているのは「能力不足」ではない
多くの地域で共通して見られるのが、高齢者を中心とした「日常的な情報取得・意思疎通の困難さ」である。
- 行政情報が届かない
- デジタルツールの使い方が分からない
- オンラインでの申請・連絡が出来ない
- 地域内の情報共有が成立していない
これらは、住民のスキルや能力が低いから起きている問題ではない。
適切な情報が、適切な形で、適切なタイミングで伝えられていないことによって生じている、典型的なデジタルディバイドの問題である。
デジタルディバイドは、コミュニティの希薄化を加速させる
デジタルツールを適切に活用できない状態が続くと、単に「不便」で済まなくなる。
- デジタル上でのコミュニケーションが成立しない
- 情報格差が広がる
- 行政や地域活動への参加が難しくなる
- 結果として、リアルなコミュニティも希薄化していく
つまり、デジタルディバイドは、地域コミュニティそのものを弱体化させる構造的要因なのだ。
この現状を正確に把握せずに、外向けの情報発信やブランド戦略だけを行っても、地域住民の生活は何一つ改善されない。
地域活性化ワークショップが「ズレ」を生む本当の理由
多くの地域活性化ワークショップでは、冒頭で次のような問いが投げかけられる。
- 10年後、この地域はどうなっていてほしいか
- 理想の地域像を描いてみよう
- 未来のビジョンを共有しよう
一見すると前向きで建設的に見えるが、ここに大きな落とし穴がある。
現状把握が不十分なまま「未来のあるべき姿」から始めてしまうことが、地域と施策のズレを生む最大の原因なのだ。
「未来像」から始めると、現実が見えなくなる
ワークショップで描かれる未来像は、たいてい次のようなものになる。
- 若者が戻ってくる地域
- 観光客で賑わう商店街
- デジタルとリアルが融合したコミュニティ
- 外から評価される魅力的な地域
しかし、これらは今この地域で生活している人の現実から自然に導き出されたものだろうか。
実際には、
- スマホの基本操作が分からない高齢者が多い
- 行政情報が届いていない
- 地域内の連絡手段が断絶している
- 集まりそのものに参加できない人が増えている
こうした足元の問題が、未来像の議論の前提として共有されていないケースがほとんどである。
現状把握なきワークショップは「願望の共有会」になる
現状把握を欠いたワークショップは、次第に「課題解決の場」ではなく、願望の共有会になっていく。
- 本当に困っている人は発言しない(できない)
- 声の大きい人、意欲のある人の理想が前面に出る
- 実情を知らない外部視点が「正解」として採用される
結果として、「やりたいこと」は並ぶが、「今すぐやるべきこと」は置き去りにされる。
なぜ現状把握が軽視されるのか
現状把握が後回しにされる理由は、主に次の3点に集約される。
- 地味で時間がかかる
困りごとの聞き取り、実態調査、個別対応は成果が見えにくい。 - 数字や写真になりにくい
補助金報告や実績資料として使いづらい。 - 地域の「弱さ」を直視する必要がある
主催者側にとっても心理的な負担が大きい。
その結果、「未来を語る」方が圧倒的に扱いやすくなる。
本来あるべきワークショップの順序
地域活性化のワークショップは、本来次の順序で設計されるべきだ。
- 今、何が出来ていないのかを洗い出す
- なぜ出来ていないのかを構造的に整理する
- それを妨げている要因を特定する
- 取り除けるものから優先順位をつける
- その延長線上で未来像を描く
未来像は、現状把握の「結果」として自然に立ち上がるものであり、出発点ではない。
「未来を語れない地域」は、間違っていない
よくあるのが、
「夢を語れない地域は衰退している」
「前向きなビジョンが必要だ」
という指摘だ。
しかし、生活が不安定な人に「10年後の夢を語れ」と求めるのは酷である。
まず必要なのは、今日と明日を安心して過ごせる状態を取り戻すことだ。
地域活性化において、現状を直視できる地域は、むしろ健全である。
現状把握を省略した瞬間に、ズレは始まる
地域活性化ワークショップがズレるのは、参加者の意識が低いからではない。
最初の問いが間違っているからだ。
「どんな地域にしたいか」ではなく、
「今、当たり前に出来ていないことは何か」から始める。
その問い直しこそが、地域活性化を現実に引き戻す唯一の方法である。
「華やかな地域活性化」が生み出す歪み
地域活性化コンサルタントは、しばしば次のような提案を行う。
- 地域資源を活用した情報発信
- 地場産業のブランド化
- 観光誘客や移住促進
- メディア露出を意識したイベント
これら自体が悪いわけではない。しかし、地域住民の切実な困りごとが放置されたまま行われる施策は、住民にとっては「自分たちとは関係のない話」になりがちである。
なぜこのようなズレが生じるのか。
その背景には、コンサルタント側の評価軸の問題がある。
誰の評価を優先しているのか
多くの地域活性化施策では、
- マスメディアからどう評価されるか
- 国や省庁、補助金事業からどう見られるか
- 実績として分かりやすい成果が出るか
といった「外部からの評価」が優先されがちである。
しかし、本来もっとも重要なのは、地域住民自身が「助かった」「楽になった」「安心できた」と感じるかどうかである。
外部評価のための施策が、地域住民の生活を置き去りにしているのであれば、それは地域活性化ではなく、単なる「事業実績づくり」に過ぎない。
地域活性化で最優先されるべき視点
地域活性化において、まず最初に取り組むべきことは次のような点である。
- 地域住民が日常で困っていることは何か
- 情報は本当に届いているか
- デジタルを前提とした仕組みが、住民の実情に合っているか
- 「出来ない人を責める構造」になっていないか
これらを丁寧に拾い上げ、当たり前の生活が当たり前に成り立つ状態を回復することこそが、地域活性化の土台である。
地域住民が喜ばない施策は、活性化ではない
地域活性化とは、派手な成果を作ることではない。
外部から評価されることでもない。
最も重要なのは、地域に住む人たちが、
「少し楽になった」
「不安が減った」
「暮らしやすくなった」
と実感できるかどうかである。
その視点を欠いた地域活性化は、どれだけ華やかでも、持続せず、地域を疲弊させるだけだ。
地域活性化の原点は、地域住民の生活に正面から向き合うこと。
その当たり前を、今一度見直す必要があるのではないだろうか。

過去にインターネット受注で100%稼動する縫製工場を経営しており、平成17年度に経済産業省「IT経営百選」で優秀賞を受賞、翌18年には、最優秀賞を受賞するまでになりましたが、その後、縫製工場の経営を止め、飲食店のインターネット担当として勤務いたしました。平成28年11月より独立してSEO対策とWEBコンサルタントとして多くの相続サイトの検索流入やコンバージョンの改善実績があります







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